筆者が、福井県嶺北地方の鯖江や今庄に住んだ少年時代(昭和30年代)の頃、海から遠く離れた山奥の町がどうして海の魚:鯖に因んだ「鯖江」や「鯖波」と呼ぶのかと?とても不思議に思った記憶が残る。 そして今日に至っても、これら地名が暗示する「鯖の獲れた海」であったこと、或いは、別の由来を理論的に解説される我が故郷の郷土歴史研究家や専門家若しくは文献等には、未だに出会えていない。
古くからの地名には、その地域に住む住人の誰もが、「容易に判別できる」、「その土地の地形」、「地域の特徴や生活風習」等になぞられ命名された地名が多いと言われている。「鯖波」や「鯖江」等「鯖」を冠する摩訶不思議な地名が日野川上流域に点在する事が、「浜焼き鯖」や世に希な「ヘシコ」等、福井県特有の野性風味豊かな鯖食文化の存在とも相まって、その謎解きに好奇心がそそられる。
これ等伝説や仮説は、神話的伝説の引用や、漢字伝来以降の万葉仮名使いや近世の語呂合わせ的仮説であり、古代越前人が名付けたであろう単純だが生活感や地域感に、歴史背景を秘め今に残る「古地名」イメージにも繋がらず、また自然科学的にも疑問が残り、深く心に響かない。
一方、鯖江の三里山中腹には「波つき岩」や「波打岩」と呼ばれる大きな岩壁がある。
「昔は附近一帯が海でこの岩壁のところまで海水が来ていたといわれ、その大きな岩壁は、古代磐座信仰の対象神として、人々は畏敬の念を持って祭壇を造り崇め祀って来た。それが加多志波神社創祀の起源である」
との、古から伝えられた神話的にしては、自然科学・民族歴史学的に理にかなった含蓄のある驚くべき伝承が残されている。
鯖江の地名由来にも大いに関連するその様な貴重な民間伝承が、我が故郷では、学術・文化・観光開発的観点から探究されぬまま消えゆくが如きに放置されている現状は、なんとも勿体ない話である。
鯖江市のボランティア団体が、2018年度に「今日は38、鯖の日 SABAEの日 皆でサバを食べよっさ!」をキャッチ・フレーズに第一回目の「鯖」を冠した街興しイベントが開催された。
故郷の人達も、古代からの伝統的味覚文化を無意識の内に引き継ぎながら、やっと「鯖江」の「鯖」に目覚め、鯖江発祥の鯖食文化を街おこし観光資源として具現化(見える化)してくれたと嬉しい限りであった。
しかし、そのキャッチ・フレーズに
“鯖江は海ありません。鯖も獲れません。
でも、鯖の日を作っちゃいました。“
との記述には、茶目っ気を感じるも少々落胆もした。
「古代鯖江は、地名の通り鯖が沢山獲れた入江。
鯖食文化発祥の地! だから “今日は38、
鯖の日、鯖江の日”」
と表示趣旨不明の「SABAE」では無く、伝統の表意文字「鯖江」に固執しキャッチィーに宣伝した方が話題性も豊かでインパクトがある筈だが、そうで無く単純に否定的なのが勿体ない。
一方、第9話でも説明の通り、福井県特有の鯖に因む風習はやはり「半夏生浜焼き鯖」ではなかろうか? 初夏の半夏生に姿一本丸焼きの浜焼き鯖を家族で食する風習は、古代歴史に裏打ちされた故郷伝統の風物詩でもある。 「半夏生浜焼き鯖」の風習を、故郷・街おこし企画として地元を挙げてもっと喧伝して欲しいものである。
日野川の上流水域には、「合波、阿久和、鯖波、関ケ鼻、大塩、白崎、松ヶ鼻、杉崎、鯖江」等、明らかに水や海に因む縄文海進時代由来と比定出来る古地名が多く点在する。
鯖江台地南端には、これ又、サバ読み心を掻き立てる由来不明の「王山」と呼ばれる丘陵が存在する。その王山には、1世紀頃の弥生時代から5世紀にかけ築造された総数49基の墳墓・古墳が確認されている。この頃2~3世紀の倭国は、ムラからクニへ、地域が統合されて行く激動の時代であったと『魏志倭人伝』に書かれていると。<鯖江市教委文化部>
これ等古地名の謎を、主にウエブ検索やGoogle Mapのシュミレーション機能を活用し、越前国の古代の地形と歴史を俯瞰しながら、民族歴史学や自然科学的観点から紐解くと、縄文から弥生時代にかけての越前国の古代歴史と文化を蘇らせることが出来るのではなかろうか?
越前の鯖食文化発祥の謎とも関連し、今に忽然と残る古地名の謎解きロマンを後世の人達に残す為にも、これ等古地名は、安易に変更・消滅させることなく、故郷の宝として大切に保存伝承して行きたいものである。 以上
<第3話に続く> 泉州 閑爺
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