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  • 執筆者の写真泉州 閑爺

第6話 鯖波峡湾と鯖入江の存在、民俗学的考察

更新日:2023年5月11日


関東平野に於ける古代海湾の岸辺には縄文人の営みの形跡「貝塚」が残り、そして越前縄文人の営みの形跡「縄文遺跡、古地名に金刀比羅神社」が残るところには穏やかで豊潤な海辺があった。

1. 関東では、昔から関東平野の奥深くに貝塚遺跡が数多く発見されていた。その存在理由は、縄文の古代には、その地域では主食となっていたと思われる貝殻等の捨て場であり、海辺に住んだ縄文人が集団生活をした形跡であると言われて来た。(図①参照)

    関東地区における都市開発が活発になった1960年代に入り多数のボーリング地質調査の結果、縄文海進時代に最北端部が栃木県藤岡市付近まで古奥東京湾が形成されていたことが地質学的にも検証されたと言われる。

   一方、関東地区と同様に実在したとされる古九頭竜湾の沿岸では、多くの海洋性縄文貝塚は、何故か発見されていない。しかし、古湾岸沿いには、貝塚と同じ越前縄文・弥生人が生活した痕跡である縄文・弥生遺跡約130ヶ所と共に、海辺や水辺であったことを示す地名「金津、船津、舟寄、鯖田、春江、志津、江端、江尻、浅水、米納津、鉾ヶ崎、麻生津、江守、久喜津、波寄」等、古代の自然と人類のかかわりを示す古地名、約15ヶ所以上が残されている特徴がある。

2. 前第4話で古気候や地質学的にサバ読み検証した「鯖入江」及び「鯖波峡湾」の存在を、民族歴史学的角度からも追加検証するため、上記図①に倣い下記手法でイメージ図③を作成し海湾入江の存在を”見える化”してみた。

    先ず、iPad簡易ソフトの「スーパー地形」で福井県嶺北地区を表示すると、縄文海進時には、古九頭竜湾の出現はもとより、地図南端の南越前町今庄付近や西端に位置する越前町宮崎や織田あたりまで、海水が流れ込み溺れ谷となり、縄文海進があったろうことが容易にイメージできる立体地図②が表示される。

この図②から切り取った「鯖江・鯖波地区」の図③上に、

① 地図から拾った縄文起源と比定できる古地名と、

② 「福井県埋蔵文化財データ」 から鯖江・鯖波地区で発見された縄文遺跡34ケ所をプロットした。

③ 鯖波峡湾の日野山西麓湾岸で発見された上平吹縄文集落遺跡の発掘記録によれば、この上平吹集落は、縄文時代中期後葉に位置づけられ祭祀遺跡も発掘されている。

この祭祀遺跡が、あたかも創祀源であるがの如きに近接した東側山裾に海神系の金刀比羅神社が鎮座している不思議を発見した。

これに加え近隣の黒山と東谷にも鯖波地区を見守るように合計3社の金刀比羅神社が鎮座していると言う謎めいた特徴も発見した。

念のため、福井県神社庁のデータ等を調査結果、鯖波・鯖江地域には、古代信仰の縄文(海神)神道に繋がると推定できる金刀比羅神社が不可思議にも約13ケ所も存在することが判明、図③上にマークでプロットしてみた。

④ これに加え筆者のイメージする縄文海進時の海岸線を点線で、又、古日野川の河岸段丘が形成されていたと推定する深い深度の海域を濃紺で表示してみた。


3. その結果、「縄文遺跡の殆どは、湾岸水辺の洪積台地に存在した。」との定説の通り、鯖江・鯖波地区の縄文遺跡も、海岸や洪積台地山麓に、海湾入江を囲む形で分布していることが確認出できると共に、P/Cソフトの海進シミュレーション機能を使い、鯖入江と鯖波峡湾の存在イメージを具体的に地図上で“見える化”できた。

    又、縄文時代に於ける集団漁労や集団製塩業の発祥とも関連、縄文起源と比定できる古地名や、金刀比羅神社の分布も、海湾入江に於ける地形の特徴や役割を示す形で命名されたであろうこと、及び、漁労・製塩を生業とした集団村落も、海湾地形に合わせ、村落毎の漁場領域や権益を分散する形で存在したであろうことも類推できるイメージ地図(図③)となった。


4.「古代には、鯖江から鯖波あたりまで海であった」との筆者 のサバ読み仮説に対し、

① 「古代の鯖江は陸地で、鯖 江縄文人は平地で生活していて海湾入江は存在しなかった。その根拠として、「鯖江地区で発見された縄文遺跡は、何れも陸上に存在した。」

② 「古九頭竜湾は水深の浅い汽水湖であった筈で、鯖等は回遊して来なかった筈」、

③ 「ボーリング地質調査結果、足羽山付近までは海成層の地質が発見され、海湾であった事が認められるが、江守・江端以南では、海成層の地質は未だ発見されていない為、鯖江辺り迄海湾であったとは認め難い」等々、地元の専門家や歴史研究家から指摘や主張も受けた。

    人類が生活した証である“縄文遺跡”は陸上に存在し、水上では無かったことは当然のことであり、 更に、上記イメージ図③で表示した通り、その場所から低い標高に存在する低位段丘面迄は、鯖等海水魚類が回遊して来るに十分な水深約50~70mの鯖入江が存在していた可能性は高く、本件「サバ読み仮説」が的外れと否定できるものではない。

    又、ウエブ検索で見つけた江端以南の地質調査資料2件の試掘ポイントは、調査目的の異なる、ほぼ台地裾野付近数カ所であり、本件仮説の傍証として第5話でも引用した関東地区の河川本流の河岸段丘面を横切る縄文海進の連続地質調査ではなかった。 

    福井県庁や鯖江市の専門部門にも問い合わせてみたが、担当専門家の説明では、嶺北地区に於いて、その様な目的でなされた地質調査や分析資料の存在は管見に及ばすとの事であった。  以上                           



                 <第7話に続く>     泉州 閑爺

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