わが国で「鯖」について書かれた最初の文字史料は、奈良時代の平城京跡地で発掘された「長屋王家木簡」と言われている。しかしながら、わが故郷、越前の古地名、鯖波と鯖江の地名由来は、その約5倍も古い紀元前4千年以前に遡るのである。
1. 鯖は、暖流に面した全世界の亜熱帯・温帯海域に広く分布する。幼魚期は湾内で生息し、成魚になると外洋・海湾・入江等沿岸域の表層(水深2~50メートル程度)で大群を作り遊泳する。食性は肉食性で、動物プランクトン、小魚、頭足類等を捕食する。成魚は全長約50 cm、体重1kg程になり、巻き網、定置網などの沿岸漁業で多量に漁獲される。(定説)
2. ミネラル豊富な河川水が流れ込み汽水域が多く、又、潮汐に伴う潮流変動の激しい古代の鯖波峡湾・鯖入江では、海藻、プランクトンに稚魚を豊かに育んだ。 成魚の鯖の大群は、小魚の捕食に古九頭竜湾から、湾奥の鯖入江や鯖波峡湾まで回遊した。食物連鎖で小魚を追い上げた鯖の大群が海面に“ナブラ”を作り波立たせた。 越前縄文人は、その様な鯖の豊漁地の峡湾入江を「サバナミ」・「サバエ」と呼び共有し、約6千余年の時空を超え、今日に伝承されたとサバ読み出来る。
3. 鯖波・鯖江地区の縄文遺跡では、鯖骨等の遺物の発掘記録は未だないと聞く。
一方、鯖は、世界的にも大量に獲れる代表的大衆魚の一で、鯖食文化は世界的に古代から根付いている。
縄文時代(紀元前約3900-2200年)の大規模集落跡、三内丸山遺跡等からも多種・多量の魚類の骨と共に鯖の骨も出土し、この遺跡の漁撈の特徴の一つは小形魚の大量漁獲にあると考察されている<小宮孟、濱田信吾他共著2018>。
エーゲ海では紀元前1700年頃のアクロティリ遺跡から「鯖束を持つ漁夫」の壁画も出土。8世紀頃の平城京遺跡から出土した越中羽咋郡から届いた木簡荷札にも「鯖壱伯隻(鯖 100 尾)」とある。
鯖が、食用・御供・献上品、物納品や交易品として古代から重宝され、鯖のサイズ・重量が“一尾単位での”串刺し焼き”や“一尾塩漬け”等、加工・交易に適していたこと、更には、大量漁獲が可能な鯖は、漁業の主要な交易産品となっていた証しでもある。
4. また、鯖波峡湾や鯖入江での古代漁業は、三内丸山遺跡の事例から、主に、鰺・鯖・鰆等群れを作り湾内を回遊する小型魚類を漁獲の対象とする集団漁労であったと思われる。 特に、魚群となって回遊するサバ科の魚類は交易用に大量漁獲され、「鯖波」と「鯖江」は、特徴を示す「鯖」の名付の地名として残るほど、地域屈指の鯖の豊漁地であったと比定できる。
鯖類が大量漁獲出来た背景には、漁網や漁船の進化と活用や漁法も、現代の我々の想像を超えた高度なレベルに達していたとも比定できる。即ち、海水に強い藤ツル漁網糸や石錐は既に量産利用されていた筈で、舟も丸木舟から準構造船に進化していたと思われる。これ等縄文海進時代の漁法は、イメージ的には明治初期に編纂された『兵庫県漁具図解』に紹介されている江戸時代の「手漕ぎろ舟と古式漁網」による漁法に近似したものではないかとサバ読み推測するのである。
4. 縄文海進時代にサバナミ・サバエ地区で発祥進化したサバ食文化は、その後、古九頭竜海湾 が消滅した弥生時代以降も、「サバナミ」や「サバエ」の地名と共に営々と継承された。 古代三国湊で漁獲されたサバやカレイ等魚介類は、貴重なタンパク源として焼き魚、塩漬け、干物等に加工され、水運路を介し、サバエ王国の国府:太介不を始め、山間地の大野・勝山等越前各地に大衆食品として供給されると共に、縄文時代ゆかりの世に稀で野性風味豊かな「ヘシコ」に”一尾串刺し“の「半夏生 浜焼き鯖」や「天神講焼きガレイ」等々の福井県の伝統的な鯖食文化として今日に残った。
5. 縄文鯖波・鯖江発祥の鯖食文化と鯖等魚貝類の交易ルートは、大和朝廷が、継体天皇へと確固不動に継承されたことに伴い、継体天皇の故郷「越前」から、樟葉宮や奈良の都への魚介類の遠距離の献納・交易の定番ルートとして発展し、平安時代に入り、若狭と京都を結ぶ鯖街道へと変遷し営々と存続した。 しかるに鯖街道の元祖は、鯖の古代豊漁地であった越前は鯖波・鯖江であると喧伝も出来るのである。
福井県大野市では江戸時代に大野藩藩主が、夏至の時節「半夏生」には、田植えの労をねぎらい農民に焼き鯖を振舞ったと言う伝承が残り、現在もで我が故郷では、その時節には「半夏生浜焼き鯖」を食べる習慣が残っている。また、江戸時代に七夕祭の宵に、御三家をはじめ諸大名から七夕祭りの祝いとして将軍家に鯖を串刺しにして献上したと言う。これがのちに民間に伝わり7月15日のお盆のご祝儀として刺鯖を送るようになり、これがお中元の起源である言う説も残る<Blog新料理物語2022>。
この習慣も、我田引水だが、縄文越前起源の鯖食文化の風習に倣って、江戸時代の福井藩初代藩主、越前松平家(結城秀康)が始めたものが全国的な時節の習わしになったものとサバ読みロマンも物語ることができる。
節分に縁起を担ぎ「巻き寿司一巻を恵方に向い黙々と食する」怪しげで独特な「恵方巻」と呼ぶ風習が関西にある。 最近ではこの「恵方巻」は、食品業界とマスコミが盛り上げ、全国版の季節の風物詩として流行している。
我が故郷の「半夏生浜焼き鯖」は、縄文海進時代に始まり江戸時代に時節の風物詩となった古い古い歴史に裏打ちされている。従い「半夏生浜焼き鯖」も「恵方巻」にも負けず劣らず再び全国版で一世風靡のポテンシャルを持っているとサバ読みに耽るのであります。 以上
<第10話に続く> 泉州閑爺
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